「作りたい」なのか、「ウケたい」なのか
From Twitter (clipped by TwitterClip)
誰かがやった事の2番手でずっとあり続けるというのは「受けたい」人の手法という点では十分にありだと思うけど、「作りたい」ひとの態度とは違うんじゃないかという気がする。
これは別にさっきこいづかさんが言ってた「労力は成果を得るためにかける」という事と矛盾しない。
ただそれをひでPが「悪貨」と表現する気持ち自体はとても共感できる。
ただ楽しい動画を見られればそれでOKだしそれを見せてくれるPは「高い技術を持っている」という論に違和感を感じるのは、それならニコでぜんぜん知られていない既存の動画に飾り枠だけつけて自分の作品だとしてうpする人も同じ評価を得るという事になるよねという違和感なんだよね。
定量的/定性的 って話は前にしたけど、社会学の研究みたいにちゃんとアンケートとって実験して…とかやらないと客観的な研究は出来ないと思う。でもそれって作り手の仕事というよりはどっちかというとニコニコ研究家の仕事だと思う
そういえばぎろかく方面とかには誤解されてるなと思うのは、「愛がある」かどうかなんて動画見たってわかるわけないと思うんですよね。「〜という態度で作っている人はいやだ」というだけで。
エフェクト動画=愛がない トラディショナルなシンクロ動画=愛がある なんていう単純な図式の事を言った事は一度もないはずなんだがなあ
こういうのは自分が知見した範囲でしか知りえないので、当然それ以外の考え方を持っている作り手もいっぱいいるでしょうね。
なぜなら、技術的にすごいかどうかとそれが受けるかどうかはぜんぜん別な軸であって、それはセンスに属するものだからなかなか「鍛える」事が難しいから。