オリジナリティとは何か

YaSuYuKi
オリジナリティは程度の問題で、純粋なオリジナルなんてものは、ない。少なくとも、最初の人類でない以上は
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi 最初の芸術はたぶん自然の模倣。
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon 芸術として表現を行う、という行為自体が、最初の一人は「オリジナル」でしょう。
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi 最初の一人はたぶん,芸術としてではなくて「気持ちイーーー!」っていうような叫びみたいな自然な行為からはじまってて,いつの間にかそれが芸術としてとらえられたとかじゃないかなあ。たぶん芸術とコミュニケーションの差異ってもともとはなかった
myrmecoleon
まあほんとに何をもって「オリジナル」というか次第なんだよね。模倣といったって,脳内のシナプスの連結はたぶん同じ事柄についてであっても一人ひとり違うわけで。コピーといえばコピーだし,オリジナルといえば常にオリジナル。
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon 芸術自体がコミュニケーションの一形態ですしね。そこまで考えると、人間に本当に独自のものはあるのかというところまで行き着きそうですが
gigir [Re]
@YaSuYuKi 最初の人類もきっと猿真似してるんですよ。
corduroy_jacket [Re]
@myrmecoleon 純粋なオリジナルは存在しないと思いますが、悪質な模倣、模造(改変した内容が少ない、むしろ改悪になっているetc…)は、コピーと呼ばれてしかるべきだと思います。
YaSuYuKi [Re]
@gigir 模倣せずには生きてられない w .
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi オリジナリティってのも結局主観的なものなのかも。ある作品をみて,いままで感じたことのない感覚を与えてくれたらオリジナル,みたいな。
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon 単に、今までなかったものを作り出すだけなら、それこそ、疑似でない乱数でも使って1万桁も並べれば、これまで誰も表記したことのない数列ができるでしょうし。それはオリジナルかも知れないけど、何の意味もない
myrmecoleon [Re]
@corduroy_jacket そのへんはやっぱり線引きが難しいんですよ。愛とかまったくなくても技術だけで名作に仕上げられてしまえる人もいますし。作品の出来だけで「これは良MAD」「これはMADに値しない悪質な模倣」とかはいいづらい
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi 誰も表記したことのないものであるかが重要ではなく,過去に感じたことがない,みたいなのが大事なんだと思います。人間の知覚の文脈における新鮮さみたいな。数字の羅列は数学者にとっては新鮮でも,普通の人にとってはただの「乱数」というカテゴリのバリエーションにすぎない。
corduroy_jacket [Re]
@myrmecoleon なるほど、作った側と観る側の感性の問題にまでなっちゃうと、もうこれは線引きのしようがないですもんね…
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon そのときに、独自性があまりに高すぎると、乱数のバリエーションと大差ないようにしか感じ取れないのですよね。メンデルの法則とか(再発見されるまでにかかった時間の長さを考えれば、専門家なら、という話は通用しない)
corduroy_jacket
そういえばFLASH板にいた頃、あるFLASH作品を悪意ナシに冗談でパロッた人に対して、元の作者がブログで「改悪だ」と憤慨、っていう出来事がありましたね………
corduroy_jacket
ガンダム」と書かれたダンボールを着ただけの外国人レイヤー(?)にも、その表情の気迫に作品への愛を感じる。
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi そうそう。MADにかぎらず,そのものの背景的な文脈とかが理解されていないと,どんなにオリジナルなアイディアも「雑多なくだらない思いつき」というような箱に入れられて,オリジナル以前に議論にならない。お母さんにはどんな次世代ハードもファミコンにしか見えない。
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon 連続性と断裂性を併せ持たないと駄目、か
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi そそ。両方のバランスが悪いと,つまらなかったり理解されなかったり。まあ芸術だと,そのほかに身体性に基づく心地よさみたいなのもある気はしますけどね。リズムとかハーモニーとか
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon コンテキストが変わると、見た目の心地よさを乗り越えることもありますけどね。心地よさの基準すら変わることもある。でも、それにも限界が
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi 身体的な嗜好も文化や慣習を受けますし,コンテキストによる面白さってのはまた違いますね。オリジナリティとはまた少し離れてくるかもしれませんが
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon 文化や慣習から逸脱することでオリジナリティを、みたいな発想もある。そうなると、オリジナリティを追求すること自体が、文化や慣習に依存してしまうけど、有効性は高い
myrmecoleon
たぶん感覚的な「オリジナル」ってのは,あるものに対して得られた感覚のうち,それが依拠した原作品では得られなかっただろう感覚をもたらした表現のことを言うのかも。表現,という立脚点に立てば,具体的な描写の方法よりも読み手に起こした感覚の方が重要。
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi 海外の異民族の数千年つづいてる音楽とか絵画とかをパクって自国で出すと「これは独創的だ!」とか言われちゃうわけですからね。たぶんその人の貢献は,異民族の文化を評価してその上で自国向けにアレンジしたとかそのあたりでしかなくても。
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon もっとひどい話になると、海外のミュージシャンをそのまま日本語化したようなものが日本国内で大人気だったりするのも珍しくない
myrmecoleon
逆に,翻訳といってるが実際はほとんどが創作になっちゃってる文学作品とかもあったかなあ
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi あるあるwww
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon 知らなければ、感じる側に取ってはオリジナル、と w .
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi 見る側にとっての「オリジナル」ってのは結局そういうところなんでしょう。作る側・売る側だともちろん違うはず
wideangle [Re]
@myrmecoleon あるものをそれが入手しづらい別の場所に移動させることで価値を高めるのが商売だみたいな話ですか。
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon 売る側だと、盗作のラインを踏み越えないこと、くらいの違いしかなさそうですが(大量に売ることを第一義としているなら)
myrmecoleon [Re]
@wideangle 確かに。移動手段の発達で文化的な断絶性は距離のそれよりも大きくなってますからね。たとえば能舞台MADとかはあんがい受けるかもしれない,みたいな。
myrmecoleon [Re]
@YaSuYuKi まあそのへんのラインもけっこう現場にいないと見極めづらいと思いますよ。音極道さんのあれじゃないけど売れ線には似てる楽曲とか大量にあるわけで。
YaSuYuKi [Re]
@myrmecoleon 誰も制作されたすべての音楽を聴くなんて不可能ですしね。確かに、境界はよほど注意してないとわからないか